焼き菓子の甘い香りが漂ってきた。そろそろそんな時間か、と執務の手を止める。間もなくして、ひょこりとルイエが顔を出した。
「ラトラ様。お茶にしませんか」
楽しみで仕方ないのを隠せていないルイエが、いそいそと銀盆を持ち込む。この頃はお茶の時間はルイエがせっせと準備してくれることが多い。神獣であるルイエの仕事ではないのだが、こうやって顔を見せる時間を増やそうとしているのが分かるので、ラトラは何も言わないことにしている。なんといっても、ルイエに会える時間が多いのはラトラ自身も嬉しい。
「頂こう」と返すと、ルイエは張り切っているのか尻尾までが揺れていた。準備が整ったのを見計らって別部屋のテーブルにつくと、「あの。今日は、キツネの形をした焼き菓子もありますよ」とルイエが話しかけてくる。
えへへ、と笑っているルイエが差し出した皿には、確かにこんがりと焼けた狐の形の焼き菓子があった。
「なかなかだな」
そうでしょう、とルイエが嬉しそうに返してきた。そのまま、ラトラが食べるのを見守っている――のだが。思った以上にルイエを思わせるフォルムに、菓子だと思っても――食べてなくなってしまうのが、勿体ない。
「……あ、キツネの形はお嫌でしたか?」
手が出ないラトラの様子を窺っていたルイエの耳と尻尾がしょんぼりとなった。
「そうじゃない。あまりにも可愛いので、食べるのを悩んでいた」
「ええ? 悩む、のですか?」
小首を傾げているルイエは神獣だ。もしかしたらそういう感情は理解できないのかもしれない。うーんと悩んでいる様も可愛く思えて、ルイエの頭を撫でてみると、目を閉じて気持ち良さそうに笑った。
「あ! じゃあ、おれが責任持って食べますね!」
ふと目を開き、良いことを思いついたとはしばみ色の瞳が輝く。
そうして。辺境伯ラトラのお気に入りは、あっけなくルイエの口の中に消えて行ったのだった。
–おしまい🦊–