おはらい猫の首に鈴 - 3/3

03

「お前の家って、リーンノウル地区だったよな。そっちに出没しているらしいぞ」
「えええっ!!!」
 フクの家は、魔獣に襲われたらひとたまりもないくらいの小さい家だ。「早く戻った方が良い」と重ねて言われて、フクは自分の家への近道を急いで走った。

 小さな家だけれど、今は遠くに暮らしている兄弟からもらった贈りものや明日着る服、今夜食べようと大事に取っておいた大好物の魚の缶詰を置いている。必死に駆けたものの、フクが着くまでの間に、小さな家は魔獣によって蹂躙されてしまっていた。しかも、それだけではなく、火を吹くタイプだったらしく――木でできた小さな家は、フクの前で消し炭と化していた。

「お……おれの、おうちが……なくなっている……」
 他の家に仕える時は帰って来られないこともあるが、猫族にとって家はとても大切なものだ。
(おうちでのんびり寝ていられる生活って……どこにありますか、神さま)
 くじに期待していたわけじゃなかった。でも、お気に入りの寝台でぬくぬくと寝ることもできなくなってしまった。耳も尾も、しょんぼりと垂れる。煤が飛んできて汚れるのも厭わずにその場で座り込んだフクの肩を、誰かがポンと叩いた。

「おかえりなさーい。これ、お助けしておいたよ」
「あ……神さま!!」
 蛇族の小さな子。一緒に家を出たはずなのに、わざわざフクの家に戻ってくれたのか。小さな手ではあり余る大きさの布包みを受け取り、中を開くと――ひらりとくじが落ちてきた。
「そのくじは、当たりみたいだね。ほら、おうでのんびり生活ができるよ」
 布包みで収まるくらいの少ない荷物。それでも、手許にそれらが戻ってきたことが嬉しくて。しばらくぎゅう、と布包みを抱きしめた後、フクは子どもに向かって、煤だらけの顔で笑いながら、首を左右に振ってみせた。

***
「これで良しっと」
 伯爵家の使用人に当たりのくじをそっと返した後。布包みを抱きしめながら、フクはまたとぼとぼと大通りを辿ることにした。色んなことがありすぎて、疲れているのに今日はめずらしく眠くならない。どこか雨のあたらない場所を見つけないとな、と空を仰いだところで――「やっと捕まえた」と低い囁きと共にフクの視線が一気に高くなった。誰かに抱き上げられたのは分かる。そして、相手の髪の色や、フクを見て安堵する表情を見て――とても懐かしい面影が僅かに残る顔を見て、泣きそうになってしまった。

「……アーサー様……?」
「フクを探すのは本当に大変だな。つい今しがたまで、すぐ傍にいたと思ったのに――次の瞬間にはどこにもいなくなっている。お前をいちいち見失ってしまう私も情けないが――もう、離さない。お前に名を与えたのは私なんだぞ」
 あの、汚れてしまいますから。そう言って身じろいでも、幼かったころとは比べようもなく逞しい腕は揺らぐこともない。

「伯爵がお前をまた雇いたいと言っていたが、私が引き取ると話を付けてきた」
「……でもあの、おれはもうオルグレン家もクビになっていて」
 降ろしてはもらえないまま。アーサーの硬い手のひらがフクの頬にそっと触れて、すぐに離れていく。頬についた煤を拭ってくれたのだ。

「私がいない間のことだったとはいえ、そのことを私は了承していない……今もだ。こうして戻ってくるのに時間がかかってしまったが……ようやく、会えた。ずっと探していたのに、思ったよりもこの国は広い」
「あ、え……あの、おれだって分かってもらえると思わなくて……それに、役立たずですし」
 きゅ、と鼻をつままれ、間の抜けた声が出た。そういえば、アーサーの側にいた頃――自分の人生の中で一番楽しかった頃も、こうやって彼と戯れて遊んだのを思い出す。

「フクに魔獣を狩らせたいわけではない。そのために自ら剣技も習得し、他に文句を言わせない程度の地位も得た。これからは、私のところでいくらでも寛いで過ごせば良い」
 力強くそう言い切ったアーサーが、フクに笑いかけてくれた。夕方の大通りは、昼よりも人の行き交いが多い。それなのに、ほんの一時を過ごしたオルグレン家のタウンハウスにいたあの頃に戻ったかのように、周囲の音が聞こえなくなる。

 昔――少年だったアーサーの側で過ごし、笑顔を向けられる優しい記憶だけを残しておいた、あの場所。本当に戻っても良いのか、まだ良くは分からないけれど。幼かった時も、「ずっとそばにいて」と言ってくれたこともまた、思い出す。懐かしさにまじる、不安。それらを凌駕する嬉しさで、満面の笑みが勝手に浮かんだ。情けない顔になっている気がして、表情を引き締めているうちに丁重な手つきで地面へと降ろされる。

 笑っていることが多かったアーサーの顔が、フクの真正面で一気に大人の――真剣なものへと変わっていた。真剣な様子につられて、フクも緊張し真っすぐアーサーを見ていられなくなる。尾にまで走った緊張を融かそうとしてなのか、アーサーの節ばった長い指が特に敏感な付け根のあたりに触れてきて。無意識に身体を震わせると、ようやく彼がまた笑う気配がした。

 そうして。俯きかけた顔を上げたフクに待っていたのは――優しい口づけだった。

Fin.