偏屈辺境伯のお気に入り:後日談:神獣の贈りもの

 隣にいたフィトが、不意に頭を持ち上げた。

「フィト、どうしたの?」
『誰か、来たみたい』
 短い尾を振るフィトと一緒に立ち上がる。

 今日は城主のラトラもいるので、もしかしたら客人なのだろうか。

「あれ、でも誰か来るときは教えてくれるけどなあ……」
 ルイエが小首を傾げながら考えこんでいるうちに、フィトが『ルイエはここにいて』と言い残し、駆け去っていってしまった。

 すぐにフィトの吼える声が聞こえてきたので、慌ててルイエも狐に変じるとフィトが駆けていった大門へと向かって走る。
 その途中であっさりと抱きかかえられて、ルイエは狐の姿のままでじたばたとした。

「ルイエ。その姿になるのは、館の中だけにしなさい」
『ラトラ様!』
 大きく耳を動かし、尾を振る。呆れ顔でルイエをすっかりと抱きかかえると、ラトラが門の方へと視線を向ける。

『あの、誰かが来たみたいで』
「そういう時はまず、私やゾフィに知らせなさいと言っているのに……。大門前にいる門兵が、顔の知らない者は通さないようにしているから、知らぬ者ではないはずだが」 そうでした、とルイエが恥ずかしくなり前足で己の大きな尾を抱え込んでいると、フィトが駆け戻ってくるのが見える。フィトの後ろには護衛騎士が数名と、神官服姿の男が二人見えた。

「……そういえば、手紙が来ていたな」
 すっかり忘れていた、とぼやくラトラの声を聴きながら、ルイエはその二人が顔見知りであることに気づいた。 
 
「レンブルク辺境伯、ご無沙汰しておりました。ルイエ様! け……獣の姿でお出迎えとは……なんぞありましたでしょうか?!」
 素っ頓狂な声でルイエたちに声をかけてきたのは、王都脱出の際にルフラスと共に尽力してくれたマヌエルだ。レンブルクの城ではしょっちゅう獣の姿を取ることも多いルイエは、はしばみ色の目を瞬かせて小首を傾げたが、ラトラの外衣によってすっかりと覆われてしまった。

「ラトラ従兄上、お久しぶりです。……お邪魔ではありませんでしたか?」
 そう言って微笑むのは、ラトラの従弟であり若き神官長であったはずのルフラスだ。ルフラスとマヌエルが連れ立ってやって来たことにルイエがまた首を傾げているうちに、館の中へと入ることになった。

 ゾフィに急いで服を着るのを手伝ってもらってから客間へと向かうと、既に面々は座って話をしているようだ。ルフラスの傍に座りこんでいる自分そっくりな狐を見て、ルイエは慌てた。

「アーテル殿! まだその姿で……?」
「ルイエ。とりあえず、こちらに座りなさい」
 苦笑したラトラに呼ばれてラトラの隣に座ると、ルフラスが「お元気そうで何よりです」と微笑みかけてきた。

「ルイエ様。我々はしばらくの間、王都を離れることにしました。隣国に亡命することになります。当分お会いできないと思ってご挨拶に伺いました」
「そうでしたか……アーテル殿、元に戻れないのですか?」
 アーテルを狐の姿にした黒い森の主は、アーテルが己を省みれば自然と人の姿に戻れると言っていたのだが。心配げなルイエをよそに、狐姿のアーテルはぷい、と視線を逸らした。

「それが……もう元に戻ることもできると思うのですが、酷い人間不信になってしまって。王と王妃の手の者たちがこぞって『神獣』を奪い合おうとしたものですから。このままではアーテルの身が危ないと思い、マヌエルと話し合って王都を出奔してきました。きっと、今ごろ王都ではわたしが神獣を盗み出したと大騒ぎしているかもしれませんね」 
「まあ、容易に想像がつくな」
 静かにルフラスの話を聞いていたラトラは呆れたと言わんばかりに肩を竦めて見せると、ルイエの頭に己の手のひらを乗せた。

「ルイエ。マヌエルに中庭を案内しておいで。マヌエルは神官の中でも一番、薬草には詳しい。何か教わることもあるかもしれない」
「そうなのですね! マヌエル殿、ご一緒しても良いですか」
 ルイエの尻尾がピンと立つ。その様子をラトラに笑われながら、ルイエはマヌエルと共に中庭に向かった。

***

「マヌエル殿は薬草にお詳しいそうですね」
「ルイエ様。自分のことは呼び捨てで良いのですよ」
 マヌエルはかつての自分の世話役だと言っていたっけ。そう思うと、途端に気恥ずかしくなってくる。

「見事な薬草園ですね。在りし日の王宮の薬草園よりも、立派だ」
「そうでしょう。ラトラ様が頑張ってつくったお庭なのです!」
 マヌエルが上げた感嘆の声に、ルイエは誇らしげな笑顔になる。だが、マヌエルが複雑な表情でルイエの胸元を見ていることに気づき、ルイエは「ええと」と悩みながもマヌエルに話しかけた。

「……ごめんなさい。おれ、王都にいたという頃の記憶がなくて。マヌエル殿のことも……」
「謝ることはありません。ルイエ様には何一つ、非がないのですから。……謝るのであれば、自分の方です。あの時、王都を留守にしていなければ……」
 二人で謝った後、黙り込んだところに、鳥が高い声で鳴きながら通り過ぎていった。

「おれ、契約を繰り返してきたせいか、覚えている過去のことって少ないのですが……薬草のことだけは、ちゃんと覚えているんです。一つ一つ、効能とか使い方とか……優しい誰かに、繰り返し教えてもらったことだけは、ずっと頭に残っていて」
「そう……ですか」
 マヌエルの顔が急に曇り、ルイエから顔を背けてしまった。何か失礼なことを言ったのだろうかとルイエが慌てていると、遠くから名前を呼ばれた。ラトラとルフラスがこちらへと歩いてくるのが見える。

 耳が勝手にピクピクと動いたところで、お気に入りのギスギスの葉をくわえたフィトも駆け寄ってきた。 

 ぽとりとルイエの足元に落としたギスギスの葉を拾い上げる。

「ルイエ、外套を忘れていっただろう」
「あれ、本当だ」
 ごめんなさい、とルイエが慌ててラトラに駆け寄ると、外套を肩にかけてから抱き上げられてしまう。ついギスギスの葉を握りしめると、小さく笑う声が少し離れた場所から聞こえた。

「お幸せそうで、良かった。これからも、どうかずっと……お幸せに」
 マヌエルがそう呟いたのを聞くと、ルイエは何故か急にたまらない気持ちになった。ギスギスの葉を握りしめたまま、ラトラの腕の中から抜け出す。

「あの、これを……」
 危うくギスギスの葉を渡しそうになり、照れ笑いをしながら手布を差し出す。
 
 マヌエルは涙が滲んだ目を細めると、笑いながらギスギスの葉の方を取るのだった。

Fin.